まずはじめに、『発達障害』という言葉を多用していることについて、違和感を抱きながら書き綴っています。障害と表現していいのか?現代病という『疾病』のような扱いがふさわしいのか?他の適した表現がわからないまま、このブログを書くことにしました。
そして、僕自身には知的障害者の弟がいて(愛の手帳一度という最重度の知的障害です)、差別的な偏見は持っていないことを知っておいていただきたいと思います。
ちょっとだけ弟とのエピソードを話しておくと…。
小学生の時、弟と市民プールに行っていて、弟が幼児用のプールで突然海パンを下ろしてオシッコをしてしまい、幼児用のプールにいた子供たちが悲鳴を上げてプールから上がっているところに飛び込んで弟を抱きしめたことがあります。
また、ある時、弟の手を引いて散歩(日課で歩かなきゃいけなかった)していると、駄菓子屋のオバちゃんが「毎日大変ね」と言って、お菓子をくれようとした時、「大変じゃないので、そんなものはいりません」なんて生意気なことを言ったこともあります。そのころからひねくれてた?!(笑)
多くの子どもたちと関わるようになって、子どもの動きを見ていると、「あれ?この子は発達障害かな?」と思うことがよくあります。
最近、この言葉が広く知られるようになり、実に子どもの4人に1人は発達障害であるという説もあります。昔から、そういった傾向はあったのかもしれませんが、時代背景もあってのことと思いますが、この言葉が広く知られるようになったのは、ここ10年か15年くらいのことではないでしょうか?
たまに保護者さんの方から「ウチの子は発達障害があるのですが、クラスに入れてもらえますか?」と聞かれることがあります。僕は「へぇ~そうなんや」くらいにしか捉えていません。保護者さんが把握している場合もあれば、把握していない、もしくは認めたくない場合もあるでしょうし、いわゆるグレーゾーンという便利な言葉もあるので、いったい何人の子がいるのか?僕には把握できていません。
そもそも、発達障害って、ホンマに障害なのか?遅れなのか?はたまた疾病なのか?
僕自身は発達障害ではないと思いこんでますが、ホンマに違うのか?さえも、本当のところはわからないし、病院で診断されても、それホンマなん?って思うと思います。
多くの子どもと関わるので、いろんな本や、ネット情報を読んで勉強しましたが、結局のところ、何がホンマなのか?よくわかりません。
そして、たとえ発達障害があったとしても、僕のやることは変わらないということがわかってからは、どうでもいい情報になりました。
人間は…なのか、日本人は…なのかわかりませんが、人をカテゴライズしたがります。「あの子は発達障害」「あの子は普通」「あの子はグレー」みたいに…。
最初に部活動指導を経験したとき、そこの顧問の先生が、何かトラブルが起きるとすぐに「あの子は発達障害やから」と、二言目には発達障害という言葉で子どもをカテゴライズして片付ける先生がいて、「先生って、これでいいのか?」と思ったことがあります。大人として、保護者として、指導者として把握しておくことも大事なのかな?と思ったりもしましたが、把握したところで、僕のやることに変わりはないということに気づいたので、どっちでもよくなりました。
文献によっては、「発達障害は治る」と書いてあるものもありますが、「治らない」と断言しているものこそないものの「障害と向き合うことで、社会にうまく適応できるようになる」というような内容のものが多く執筆されています。それも、今となっては、僕にとってはどうでもいいというか、やることに変わりはありません。
できないことをできるようにする
目標に向かって頑張ることを教える
できた時の感動を学ぶ
できなかった時の対処を教える(失敗や挫折から学ぶ)
相手のことを考えてプレーするとはどういうことか?
バレーボールの楽しさを教える
↑ココに「発達障害の子には特に気をくばる」はありません。
そもそも歩みのスピードには個人差があって当たり前。スピードの遅い子を発達障害という言葉で片付けるのは少々乱暴すぎるような気もします。
正直、話を聞けなかったり、説明したことを取り組もうとする姿勢が見えなかったりすると、「発達障害かな?」と思うことはあります。が、それがこちらの対応に大きな変化を与えることはありません。そして、逆に保護者さんの方が「ウチの子、発達障害と思われてるんじゃないか?違うのに…」と心配な方もいらっしゃるかもしれません。
これもまた、どう思われてたとしても、大したことではないということ。
僕なりに、発達障害かな?と思った子には、特に気を配るというより、個人に合った接し方をしていて、それは、そうでない子に対しても同じで、要はひとりひとりの個性と向き合うことが重要だということです。
発達障害があってもなくても、僕はただバレーボールを通じて、技術を教え、人を思いやるスポーツであることを伝え、バレーボールがすばらしいスポーツだってことを伝えるだけで、これからもそこは変わらずやっていきたいと思います。
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