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脱・体育会系的思考

一年くらいかかりましたが(笑)、完読しました!www

一年もかかったので、カバーもボロボロです(笑) 『体育会系・日本を蝕む病』外国人から見た、日本のおかしなところが書いてある本でした。 外国に行ったら、考え方が変わるとか、日本の小ささに気付くと言いますが、日本にはおかしなことがいっぱい。 その代表的なものが、体育会系的思考です。『根性論』『精神論』が重視されることの多い日本では、メジャーな考え方です。 日本には「辛くても頑張る」「ケガしてても練習する」などの根性論が美学とされている節が、古くから根付いています。 13:00集合と言ってるのに、暗黙の了解で30分前集合だったり、12:30を過ぎると遅刻だと怒られたり…。 大切なのは13:00に集まっているかどうかなのに、いつのまにか30分前が集合時間になっていて…。だったら最初から12:30集合とすればいいのに。 自分も試合で捻挫して、テーピンググルグル巻いて試合続行し、翌日病院行ったら骨折してて、「ギプスします」言われたんですけど、「再来週試合なんで、ギプスは困ります」と断ったら、「気ぃつけてやらなアカンよ」言われて、「あ、いいんだ」と思ったり、突き指ほったらかしにしてたら、ある時整形外科で「もう靭帯ないですよ」って言われたり…(笑) 無理してきたというより、試合に出たい!自分のポジションに他の誰かが入るのが許されへんという気持ちの方が強かっただけなのですが…。 もっと自分を大事にしてれば良かったかなー?とは思うものの、この歳になると、もう十分やってきたし、これでよかったのかな?とも思ってはいます。 ただ、自分がそうやってきたからといって「そのくらいのケガで」とか思うのが、昭和の体育会系的な思考です。 「俺が若い時は…」とか、自分の経験を物差しにして、今の若い子たちに考えを押し付けるのは間違っています。 時代が違うから…とかじゃなく、いつの時代も選択する権利は本人にあるのです。 「みんながやってるから」とか、「他の人はもっと大変」という精神が、いかにも日本の体育会系的思考です。 PTAの役員決めの際、仕事を理由に断ると、「それはみんな同じです」と言われたり、周囲のママたちに変な目で見られたり…。 多数派が力を持ち、少数派は長いものに巻かれないと、うまく立ち回ることができないのもまた日本の生きにくさだと思います。 先ほど書いた集合時間の話は、例えば準備に直結します。早めに来ることで、円滑に練習を始めることができますが、いつも重たい支柱を持ってネットを張る子は決まっていて、ネットが張り終わった頃にひょっこり現れて準備をしない悪賢い子も必ず一定数います。 指導者の立場としては、13:00に練習が始められれば問題はないわけで、誰が準備をしたか?何回重たい支柱を運んだか?は関係ありません。 でも、子供社会ではそうもいかないのです。「なんで自分ばっかりが準備しなあかんねん」と思うし、準備しない子をズルいと思います。 僕自身は、自分が練習するための準備なので、なーんとも思わなかったのですが、ズルい子には目がいくので、あまり親しくなろうとは思いませんでしたし、それは今も同じです。現に大人になって、ネットも張れない子はたくさんいて、ズルいままです(笑)そして、この先も上手に世渡りしていくのでしょう。 そんな世渡り上手な人に、いつかバチが当たればいいとか、絶対誰かが見てるとか、そんなことに考えが及ぶこと自体が、いかにも日本人的思考です。 「若いうちの苦労は買ってでもやれ」という言葉がありますが、ここで大事なのは、『苦労』という言葉。重たい支柱を運んでネットを張ることを『苦労』と思うか?自分がバレーボールをするためと思うか?なんじゃないでしょうか。 部活動の場でよく見かけるのが、『準備は下級生の仕事』とか、試合に行く時の『荷物持ちじゃんけん』に違和感があります。 なんで自分がバレーするのに、下級生が準備するのが当たり前なのか?自分が試合に行くのに、ボールやボールカゴを運ぶのを嫌がり、それをじゃんけんで決めなきゃならないのか?? 僕にはまったく理解できなかったので、高校でも大学でも、なんなら今の社会人バレーチームでも一番に行ってネットを立てるし、荷物だって一番重たいボールカゴを運びます。そしてそれを、「なんで年長者の俺がやらなあかんねん」とは思いません。 日本のみーんなが、ネットを張ることも、荷物を運ぶことも苦労と思わず、またそれをしない人をズルいと感じなくなる日がくるといいなー。 日本にもいいところはいっぱいあると思いますが、今の自分は『やや反日的思考』です(笑) 特に日本の同調圧力には、すごく力があるので、「自分が良ければそれでええやん」「他人は他人、自分は自分」という考えは自分勝手で、社会的制裁を受けるのです。 コロナが流行り出した頃、体育館が使えなくて、外でビーチバレーをしてたら、「みんな我慢してるのにバレーしてる人がいます」と、ビーチバレー協会に連絡されて注意を受けたこともありました。 今となっては、外でバレーすることはアカンこととはならないし、悪いことをしていたわけではないのに、その時は家でじっとしてることだけが正しいとされていました。 もちろん、コロナがどんなものなのかもわかってなく、政府も対策が正しいのかさえもわからない故のことだったので理解もできますが、当時流行った『自粛警察』がパトロールする『監視社会』には辟易していました。 今は、自分の中に時折芽生える「突き指くらいで休むな」という考えや、「それが当たり前やろ」と思ってしまう思考を、制御するのに苦労しながらも、この体育会的思考を改めながら指導にあたっています。 長く昭和を生きてきたので、簡単には変えられないのかもしれませんが、この危険な体育会系的思考を、少しずつでも変えていけたらいいなー。

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